食事
◆自分に合った食事を考えてみよう
食事の方法にはいろいろあります。
体質や年齢、健康状態などによっても、どれが合うかは人それぞれ違うので、実際に試して、自分の体が必要としているものを探すことをお勧めします。
毎日のことなので大切でもありますし、毎日のことなので続かないようなものも困りもの。
でも、自分の体に対する意識の持ちようで、手間や時間、便利さや手軽さのどこに重点を置くかは自ずと決まってくることでしょう。
体はあなたのもので、誰もあなたの栄養を摂るために、あなたに代わって食べることはできません。
選ぶのは自分。
子供については、両親が考える必要があるでしょう。
食事は、具合が悪いときには薬となります。
また成長過程にある子供にとっては、体の基礎を作るものなので、家庭での食事は大切にしたいものです。
だからといって『栄養』『安全』などにこだわりすぎてガチガチにならないでください。
食事は体を作るものですが、同時に心の栄養にもなるからです。
食事は頭で味わうものではありません。
栄養価や有機のもの、食材のことばかり考えて、食べる喜びやおいしいという気持ちを忘れてしまうと、『食事』が『餌』になってしまい、結局栄養は十分吸収されないのではないでしょうか。
お手当する人の状態が、受けている人に伝わってしまうように、料理する人の状態は、料理を通じて食する人に伝わります。
お母さんが『子供たちが喜ぶかしら』と心をこめて焼いた手作りハンバーグと、
『忙しいのに嫌になっちゃう』とイライラしながら焼いた手作りハンバーグ、
そして『今日は出来合いになっちゃったけど、美味しく食べてくれるといいな』と焼いたレトルトハンバーグ。
お母さんの心の状態で、実際の栄養価も変わってきます。
忙しいときにイライラして作る手作りハンバーグより、レトルトでも心をこめて作ったほうが栄養価は高くなるそうです。
結局食事においては、味や何を食べるか、ということだけではなく、作り手の思いや食卓の様子も大切な要素となってきます。
子供の頃の食卓の風景を思い出してみて下さい。
何をどんな風に誰と食べたか。
そのすべてが栄養になっていきます。
だからこそ、家庭での食事は大切です。
家庭での食事がある程度しっかりしていれば、たまの外食は嗜好と割切って楽しめばいいでしょう。
楽しみは心の糧になりますし、たまには多少の毒(?笑)も食らって鍛えることも必要かもしれません。
緊急時に食べられるものがない、というのも困りものですし。
私は食べるのが好きです。
大人になってからは好き嫌いはほとんどありません。
料理が得意なわけでもなく、友人との外食も大好きです。
だからといって外食が多いわけではありませんし、一人のときは基本的にはうちで食べることがほとんど。
外では何でも食べますが、家では比較的お肉は少なめ、
東京ですが、近辺は畑も残っていて畑の横で野菜を売っているおじさんやおばさんがいるので、
なるべくそこで買うようにしています。
そうすると、必然的に旬の野菜が手に入ります。
他で買うときは、産地や素材を気にするようにしています。
そしてなるべく買いだめをしない。
それでも時々腐らせて、自己嫌悪に陥りますが。
暑い夏も、蚊に刺されながら、野菜を育てているおじいさん。
農業に興味はありますが、毎日それを続けるとなると、なかなかまねができることではありません。
作ってくれた農家の方を知っていると、頭が下がります。
食材をありがたく頂こうという感謝の気持ちも大きくなります。
加工品はなるべく減らして、調味料は大量に使うわけではないので、少し高くてもいいものを選ぶように心がけています。
今やスナック菓子なども自分で買うことはほとんどありませんが、
でもごくたまーにインスタントラーメンとか食べることもありますよ。
7−8割ベースをしっかりさせて、あとはゆるーい感じです。
他には、電気製品を極力減らしているというところでしょうか。
あいにくまだ電子レンジは手放せずにいますが、使うのは冷凍物を解凍するときくらい。
ご飯は鉄釜で炊いています。
お湯は陶器の鍋で沸かすようにたり、調理器具はなるべくテフロン加工のものは減らしてます。
食器は気に入ったものを少しずつ集めて使っています。
食器がいいと、食事が3倍位美味しく見えるからありがたい。
食事も一層楽しくなりますし、和食器の威力はほんとにすごいですよ。
健康なときと、病気のときの食事はまた違ってきます。
食事は毒にも薬にもなる。
人それぞれ合った食事法を考える。
何を食べるかだけでなく、『誰』と『どのように』食べると美味しく食事ができるかなども、ちょっと思い浮かべてみて下さい。
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